- Blog記事一覧 -9月, 2018 | 野田市東宝珠花の鍼灸なら【栗原治療院】の記事一覧
9月, 2018 | 野田市東宝珠花の鍼灸なら【栗原治療院】の記事一覧
「ぎっくり腰」に鍼灸はとても効果的です。
治療後、
椅子から立ち上がれない方が「あ、立ち上がれちゃった!」という事や
腰をまっすぐ伸ばせなかった方が、すらりとまっすぐ立てた事、
動作1つ1つに「痛い、つー」と言っていた方が、自然に治療代を払おうとしてご自身が驚かれたり、してきたコルセットを忘れていかれた方、
往診時、息ができないほど痛みの強い方が、治療後すぐ眠気に襲われぐっすり眠れ、痛みがかなり軽減した事。
また通常、今まで通りの生活に戻るのに10日から2週間以上かかっていた方も
平均5日ほどで同じ様に動けるとご連絡をいただく事が多いです。
※ぎっくり腰が良くなり、殿部、下肢が痛くなったという場合があります。
それは椎間板ヘルニアの初期症状ですので、ご注意下さい。
※ぎっくり腰の繰り返しは、坐骨神経痛になることが多いです。
一度の治療で症状が治まっても、根本原因の改善・発見、ぎっくり腰にならないなりにくい生活、「ぎくっ」の不安心配のない時間を送っていただくために
日々の腰の疲れ、だるさ、不快感を溜め込む習慣から
いつも腰の軽い、疲れにくい、元気な腰でいることを習慣にできます。
それを強くお勧めし、そのようにしっかりサポート致します。
とても立派な3人の子供を育てた70歳半ばの元気で明るくてとってもチャーミングなおばあちゃんのようなお母ちゃんのような方と往診時お話をしていて
話の流れで
便利な物も増え、同居する親子も減っているなど話をしていて、
「今の女性は昔より少し楽になりましたよね」と何気無く話をすると
おばあちゃん「…どうかなぁ、私たちの時代はお父さん(旦那さん)は威張っていたし、厳しいし、それに従うのが当たり前でそれはそれで大変だったけど、
反対にお父さんに従っていれば、信じていれば間違いはないと他の心配事はなかったかなぁ。」
「子供たちにも厳しくてよく叱っていたけれど、その分私は子供をほとんど叱らなかった。口うるさく言わないで済んで、いいお母さんでいられた」と答えられ、
ドキッとしました。
全て同じとはいきませんが、そういう風に家族を安心させる方法があるんだなぁと。
土曜18時5チャンネルの『人生の楽園』18時半『ごはんジャパン』を見ながら
おばあちゃん「今は何を食べているか分からない」
「昔はトマトは食べる時、口に運ぶ前にトマトのすごい匂いがして、暑くて、夏だ!と四季を感じていた。春には山菜、秋には秋のもの、冬には冬のもの、それがそれだけでイベントだった」
「今はイベントいっぱいあるけどね、昔の行事もとても良かった」
「昔は今みたいにお肉はないし、卵もない、鯉はたまに食べたかな‥、でもあるものを手をかけて食べていた。それがとても美味しかった。なければ、山へ行って取ってきて、すぐに食べたり、干したり。お金は今みたいにないし、不便だったけど、今考えるととっても贅沢な事だった。食事は本当に楽しみで美味しかった。」
「今は、お金を出せばすぐ食べたい物を食べられて、色んなものがあるけれど、美味しい!と昔みたいに思う事はあんまりないなぁ。トマトはいつでも食べれるけど、匂いもないし、お豆腐も納豆もお豆の匂いがしない、牛乳も‥昔の物はちゃんとしていた、手間暇をかけて、余分な物もいれないで、知っているものしか食べなかった」
僕も子供の頃キュウリが大好きで1日2、3本ペロリと塩だけで食べていました。だんだん大人になって食べなくなっていたのですが、何年か前に農家さん直送のキュウリを食べた時、子供の頃食べていたキュウリの味がして1日で3本食べてしまいました。飽きたのでなく、キュウリの味、質が変わっていたのだと気がつきました。
それから、食べ物の勉強をしました。子供ができたのもあり、より興味が出ました。
自分も含め食事を変えて、体調が変わった方、不調が減った方がとても多くて驚きました。
今、思うことは
「何を食べるかではなく、食べてはいけない物を避ける」
「沢山の種類のものを食べるのではなく、ちゃんとした力(命)のあるものを食べる」
ことが重要ではないかと思っています。
おばあちゃん「物は増えたし、お金も増えたし、便利になって長生きもできるけど、今の人は大変そう。私たちはお金がなくて、物がなくて、不便で大変だったけど、働きっぱなし動きっぱなしだったけど、そうなると人間必死で良かったのかも。」
「便利になって楽になると、やっぱり人間は怠ける。楽しちゃうのかなぁ。」
「食べたい物を食べ過ぎるのも、必死じゃなくなるのも、色んな病気になるのも昔は少なかった。若い人の顔つきも今はみんな幼くてボヤッとしている。昔の成人はみんなキリッとクッキリしていた。」
思い出して、その箇所だけ端的に書いてしまうと、昔はよかったなぁという話ですが、とっても大切な話、哲学を聞かせてもらっておしえてもらった気がします。
師匠の言葉です。
このところ偶然が重なり何人かの鍼灸学生の方に自分の行なっている鍼灸、治療院の流れを教える機会がありました。
自分も治療院を構えてから、鍼灸栗原治療院としてしっかりと教えることは初めてだったので気合を入れ、できるだけ簡単に教えたつもりなのですが、
自分が思ったより響かない、届かない…
これをやれば、治療に使える、すぐ治療になると思い伝えてるつもりだったのですが…(もちろん教え方も未熟ですが)
しっかりと反応して、一生懸命やってくれているのですが、何か違う。(技術的に全然できない、やる気が感じられないとかそういう感じの話ではなく)
物理的に身体が動かない、すぐ使う機会がないということもありますが、
「どこか他人事」というか、「まだ先の事」、「そんなすぐできるわけない」と頭でブレーキがかかっている気がしました。
自分も今までそうだった気がします。
あとで詳しくやってみようとか、その場で一生懸命やっているようだけど、何となくやっている。なぜか今更、遠慮したり、照れたり。
反対の立場になり、
とりあえず、そのままやっちゃえばいい
すぐ使えるようにその場でとりあえず形にはしちゃえばいい
しっかりと本質を捉えて
細かい所はあとで自分で考えたり、工夫したり、数をこなしたり、教わったりしたらいいと思いました。
今までは逆でした。
とりあえず形にするのが恥ずかしいのか格好悪いと思っていたのか、細かいところ、できないところばかり気にして練習、勉強をしていた気がします。
以前、師匠に「こうこうこうでこれができないのです」と尋ねた時、
「そうなっちゃえばいいんだよ(そうしちゃえばいいんだよ)」と仰られ、その時は何となく漠然と面白い考え方だなぁと思っていましたが、
今はあの冗談っぽくいっていた先生の言葉の意味が少しだけ分かった気がします。
これからは教える時も、教わる時も、
その頭のブレーキを外して、外してもらえるようにして、
頭でなく、身体で、本質をとらえ、恥も外聞も捨て、物事に取り組んで行こうと思います。